昭和54年12月18日 朝の御理解



 御理解 第88節
 「昔から、親が鏡を持たして嫁入りをさせるのは、顔をきれいにするばかりではない。心につらい悲しいと思う時、鏡を立て、悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよということである。」

 この御理解を、互い表面だけを頂きますと人情教になります。人情人間心。人間心の宗教になります。そこで一つもっと深めさせて頂きますと、素晴らしい神情教になります。もう神の情神乍らの宗教。そこから神乍らの信心を頂きませんと神様を頂くというても、そこに神の息吹を感ずる。神様の暖かさを肌で受けとめると言う様な、まぁ本当に我れ神と共にあるという実感からでなからなければ合楽の世界は生まれません。生みなす働きは生まれません。
 どうでも合楽に御神縁を頂いた方達は、もう限りなくいうなら今日の御理解88節のように、ね、八に八に+(プラス)して八とある。広がりに広がっていくというおかげを頂くためには、この御教えをいうならば神情を持って頂かなければならない。ここで言われる黙って治めるということは、この88節から頂いたんです。以前に。昨日ここ築水の教会の青年の集いが本郷教会でありました。ここからもまぁ5、6名参りましたそうですが、その合楽でいう黙って治めると。
 よその教会の方達が言うておる、黙って治めるというとはもう全然異質なものだということを、昨日遅う帰って来てから話しておりました。合楽でいう黙って治めるというのは、顔を綺麗にしようとか、というものではさらさらないわけですよね。治めるという字はさんずいにム口と書いてある。さんずいというのは、自然そのまま神の働きと見るのです、その神の働きそのものを無口で治める。黙って治めるということは、黙って頂くということなんです。
 黙って治めときゃおかげになるとか、自分の顔がと言った様なものではなくて、もういよいよ持って自分の心を豊かにする。いよいよ自分の心が培われて行く。いわゆる土の信心。それにはね、本当にあの神様を感じる。ここに神の息吹がかかっておるような実感。神、神様の暖かい思いを、もう肌で感じるような信心が出来てくるようになり、又出来てこなければ、まぁいうなら歯を食いしばって辛抱しとかんならんのです。そうじゃないです。有り難いのです。
 それが神様の私に求めたもうところの、働きであると分かるからです。お互い本気でもう限りなく広がりに広がっていく、おかげを頂かなんなりません。いうならば御神徳を受けなければいけません。それには神様の心を私共の信心心で受けとめて、そしてそこにお礼の言えれる、いわゆる一切を御の字を付けて、御事柄として頂くということなんです。受けると言う様なもんじゃない。頂くのです。人情教になりますと、自分のいうならば立場というものを少しでも良くしようとします。
 顔をつくす美しゅうしようとします。いわゆる人間心の限りを尽くす事もだから、そういうおかげが頂かれるでしょうけれども、それでは神様を感じる事は出来ません。神様を頂くことは出来ません。誰が知らんでもよい。ただ神様と二人の世界。神様とだけのご承知の世界。神様がご承知の世界。いわゆる神様と二人だけの世界。そこからでないと神の息吹を感ずると。
 今朝私はご神前でそれを頂きましてですね、神の息吹を感ずる、神様のお心を肌で感ずる。もうそこには限りない愛あるのみであります。神様の御愛情があるのみです。いかにも冷たい仕打ちのようにあります。信心しておってこんな難儀なことがと、いう思いをすることがありますけれども、その難儀そのものが神様のもっともっと深ぁい、いうならば愛の表現なんです。
 本当に神様が氏子と交流し合えれる、いうならばおかげの頂けれる前提なんです。いうならば開けてみれば愛なんです。開けて見ない間は、信心させて頂いておって、どうしてとこう思うような事がありますけれども、開けて見れば愛であると、いうことが分からせて頂くところから、神様をもう本当に身近に感ずることが出きる。そこに神様との交流が頂けれる。
 そこからいうならば本当の合楽世界、本当の生みなす働きが生まれてくるんです。だからこれを一つ手前のただ人情教で、この言葉に表現してありますように、ただ親が嫁いる時に鏡を持たせてやるのは、そりゃ必ず良い事ばっかりはなかろう。辛い悲しい思いをする事もあろうけれども、辛い悲しい、その顔を主人にやら家族の者やらに見せんように、もういつも家の嫁は何時もどんな場合であってもニコニコとして良い嫁だと言われるような嫁さんになれよと。
 そうして行くところから、家は円満に治まっていくだろうという御教えなんですよね。だからそれだけ頂いたら、どこまでも人情教になるです。だからそれを、もう一ついうなら治めるという字を、から神様の働きを無口でいく。もうこれが一番素晴らしい、こりゃ自他共に助かる治まり方が出来るんだと。そこから神様をね、身近に感ずることの出来れる。はぁここに息吹を感ずる。そこに暖かさが肌に伝わってくる。そこからしか合楽の世界はない。 
 その合楽世界に住まわせて頂くことのために、いよいよ八の字に八の字が、いわゆる広がりに広がっていく。まぁいうならば家繁盛、子孫繁盛の道が開けてくる。金光大神はそういう、いよいよ家繁盛、子孫繁盛の道を教えるとおおせられる、その教えを私共がどう頂くかということによって、おかげが受けられるという世界から、お徳の受けられる世界ということになってくる。
 今日私は88節からそういう人情、人情人間心の信心から、場合には人から、又は周囲から世間からね、冷たい目で見られるようなこともあろうけれども、それを私共が神様の神愛と感ずる時に。本当にそこに神の息吹を感じるような、肌に暖かさが伝わってくるような、いわゆる何というかね、まぁおかげの世界。そういう意味においてのおかげの世界。誰が何と言うても、もう本当に心から有り難い。
 とお礼を申さなければおれない心が生まれてくる。そういう心がいよいよ徳になり力になり、それこそ広がりに広がっていく、おかげの世界に住むことが出来るんです。一つどうでもいうならば、神情教にならせてもらわなきゃいけない。それにはいよいよ、神乍らな生き方を合楽理念に基づいて、もう合楽理念はこの神乍らな生き方が説いてあるのです。家を治める。
 ただ自分が苦い顔やら悲しい、苦しい顔をしないでいくというのは、家ぐらいは治まるかもしれませんけれども、自分の心が先ずは治まっておらなければならない。自分の心が有り難いなぁ。そこに神様を身近に感ずる時に、有り難いな神様がこのようにして力を付けて下さろうとしておるなと言う事が分かってくる。そこから頂けれること。おかげでなからなければならんと言う事でございます。
   どうぞ。